2012年02月15日

わたしの中の

わたしの中には、たぶん、何か別の生体がいるのではないだろうか、と感じる時がある。


例えば、好きな人の話になると、わたしは決まって女の子を想像するし。

恋人、と呼ぶのに抵抗はないけど、彼氏っていう言葉には、激しく抵抗する。

わたしの彼氏・・・なんて、口が裂けても言わない。そんな表現は、頭の隅にもない。

彼氏元気?なんて聞かれても、一瞬、誰のことか分からない。



その点、彼女という言葉には、別に抵抗がない。

あんたの彼女元気?という問いには、何の抵抗もなく『元気だよ、かわいいよ』と答えられる。

だから、何が言いたいかっていうと、わたしはたぶん世の男性のような感覚で

生きているのかな、って。


でも、男になりたいか?と言われたら、男になりたくはない。

まあ男のシンボルが、自分に付いてたらいいのに、と思うことはあっても。


彼氏にしても彼女にしても、なんか軽くないか、その表現。


男性のような感覚で、生きていても、男性になりたいわけじゃない。

女性であることに、一応、納得しているけど、別に女としてのプライドがあるわけじゃない。

女じゃなきゃいけない場合も、女じゃダメという場合も、圧倒的に女であることを認識させられて

あまり、好きじゃない。


身長が低いことや、外で上半身裸になれないこと(暑い時とか)、パンツスタイルが様にならないこと、

世の女性たちとの価値観の相違に戸惑ったり(これはだいぶ落ち着いたけど)、まあ、いろいろと

女性であることに不便さはあるけれど、20代半ばから、そう気にならなくなった。


でも、それでもやっぱり、わたしは女性の鑑ではないから、女らしくなくていいんだ、と虚勢を張りながら

女性の扱いを受けると、ちょっと傷ついたり、してしまうんだ。


化粧もしたくない、でもシミだらけは嫌だから、日焼け止めくらいはする。

これって最近の男子でもしていること、だよね。それくらいしかしないんだ。


女性誌より、週刊新潮が好きだったり(病院の待合室での話ね)。


たまに、分からなくなるんだ。

女性であること。それは紛れもない事実。身体は、ね。

でも、頭ん中や心は、その身体に合わせてくれないんだよね。

これでも矯正してきたつもりだし、女性であることを武器にしていた時期もあったし。

それでもやっぱり、女性にはなりきれない。


それでも、いいんだけど。

わたしはわたしだから、どんな性であってもいいんだけど。


セクシャルマイノリティの人たちにも、バイで良いね、なんて言われたり。

酔った勢いでカミングアウトすると、たちまち、いやらしいことばかり聞かれたり。

なんか、切なくなるよね。こういうの。


女であること、男であること、どちらでもないこと。

わたしは、いったい、何なんだ。


曖昧で混沌としていて、定まらない。


それでもいいって、開き直ったはずの心が、たまに折れそうになる。


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この記事へのコメント
自分は自分でいいんじゃないかなぁと・・・

私は、バイでもビアンでもないけど、世の求める
女子には相容れない部分も多々あります。

他の人とは違うセクシャリティということで、
苦悩する部分も多いかと思います。
けれど、人が人を愛しているということに
変わりはないのだと思います。
Posted by 龍神龍神 at 2012年02月15日 22:29
>龍神さま

ありがとうございます。
わたしはわたし、その地点にだいぶ落ち着きました。

人が人を愛する、そこに性別は関係ない、というわたしたちマイノリティが、いちばん性というものを気にしながら生きているのではないかと、たまに思うんです。

ありがとうございました。
Posted by hyshys at 2012年02月16日 13:52
 
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