2011年11月23日

バイセクシャル という観点

わたしは俗に言う『バイセクシャル』らしい。

性別に関係なく、人を好きになる。

その『好き』は人それぞれで、私の場合は
『性欲を伴って』同性を愛することがある。
というもの。

友達だとか、親友だとか、そんなのじゃなく。
その人の何もかもが欲しくて仕方なくなる。

きっと恋愛って、男女その他の性関係なく
そんな突き動かされるような感情から生まれる
ものじゃないでしょうか。

その感情を、男性女性関係なく抱く。

ただ、それだけ。

何が悪い?
何も特別ではない。
一人の人間として、一人の人間を愛することが
何の罪になると言うんだろう。


こないだ、女の子どうしが手を繋いで歩いているのを
見かけました。

一緒にいた友人が
『あれ見てん!仲良すぎでしょ、キモい』
と言いました。

女の子同士でこの反応。
男の子同士だったら、この友人はどんなことを
言ったでしょう。

わたしは、全然不快ではなくて。

そもそも人前で手を繋ぐという行為をしないのだが。

でも、愛し合っていれば、自ずとそういう行為を
するのであろう。

それが男女のカップルであれば、人は視界にすら
入れない。意識しない。
同性どうしだと、たちまち『変態』の仲間入りだ。

わたしが、バイセクシャルであるということを打ち明けると
『いいんじゃない?』
と、あたかも肯定してくれていると思わせる答えをくれる。
でも、やっぱり、そんなカップルを見ると、キモい…んだ。


自分を異なるものを排除しようとするのは仕方がない。
ただ、気持ち悪い・・・という言葉を浴びせられるのは
あんまり気持ちの良いものでは無い。

わかるんだよ、そういう感覚。
わたしは同性愛者ではないから、異性だって愛せる。
でも、異性愛者が異性しか愛せないいように。
同性愛者は同性しか愛せないのだ。

さて、自分がセクシャルマイノリティであるから
こんなにも『性』について考えるのだけど、
きっと多くの異性愛者はそれが当たり前だと思っている。
だから、日常的に『性』について考えることなんてないんだろう。

もっと自分たちを認めて!というセクシャルマイノリティの方がた。

もっと声を大にして言おう。
あなたのまわりの、多くの人たちは、わたしたちが悩んで悩んで
苦しみぬいている『性』のことを、実はあまり考えていない。
だって、異性を愛して結婚し、子供を授かり家族を増やしていく
行為に、なんの疑問も抱かないのが当たり前だから。

そりゃあそうだ。

わたしたちだって、そうした親がいるからこの世に生きている。
親がいなくても、どうしたって人間は男女のつがいからしか
誕生し得ないのだから。


相手を認めないと、自分のことは認めてもらえない。
そんなの当たり前。
無尽蔵の愛情を注げることができる人間なんかいないんだもの。

さて。
今日も仕事がんばりましょう。


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