2012年02月18日

かたあしだちょうのエルフ

最近の読書欲は、なんだか異常なくらいだ。


本って、中毒性があるんじゃないか、ってくらいに。


わたしが、本を読むことに興味を持ったのは、ある一冊の絵本を読んでからだった。


文字が読めるようになった、4歳の少し前、この絵本に出会った。


それが『かたあしだちょうのエルフ』だった。


いま思い出しても、くっきりと鮮明に、あの世界へ行くことができる。


エルフから何を学んだか、というより、その世界へとすんなり旅をすることができる、ということを

学んだ気がするんだ。本の中へ、物語の中へ、わたしも行ける、ということを。


もちろん、エルフの自己犠牲にも、尊厳にも、愛情にも心打たれたのは言うまでもない。


エルフは、最後まで、ほんとうに最後まで、愛情と尊厳をもって、人の役に立った。

それは魂の気高さという言葉すら、陳腐である、と今のわたしは思う。

当時の子どもだったわたしの感覚を、今になって代弁するとすれば、エルフどこまでカッコいいんだ、だ。


カッコいいと言うには、ちょっと違う。だってエルフは、片足が無くて肌がカサカサで、羽も抜け落ちて

自分で食べ物を探しに行くことすらできない、ただ立っているだけのダチョウになってしまったのだから。


わたしは、その『カサカサの肌で』『みんなに少しずつ忘れられた』エルフが、いちばん印象深い。

ライオンや黒豹と、勇猛に闘ったエルフより、そっちの方が印象に残っている。


みんなに忘れられ、ろくに食べることすらできなかったエルフ。


その、淋しくて切なくて、どうすることもできないエルフが、いちばん心にズドーンときた。


そして最後まで、エルフはみんなのため、子どもたちのために闘った。

エルフは木になって、涙はオアシスになった。



読み手の受け取り方は、多様だ。

多様でありながらも、そこから得るものはあるはずなんだ。


エルフのような、強い芯を持った人間になりたい。

エルフを見捨てた動物たちみたいに、なりたくない。

始めっから逃げていれば、命を落とさずに済んだのに。


いろんな受け取り方があって然るべきであるし、それはどれも正解とか間違いじゃない。

絵本はシンプルに、その読み手の琴線に触れるものだと、思う。


わたしは昔から、ハッピー全開の物語が、あまり好きではない。

本当を言うならば、誰かが何かが、死ぬというのも、好きではないんだ。

だけど、死は必ず訪れるもので、逃げられない。だから、知りたいし頭の隅にいつも置いておきたい。

ハッピー全開の物語は、死の匂いがしない。だから、逆に怖くなるんだ。


この、かたあしだちょうのエルフという絵本から、わたしの読書人生が始まった。

書いていて思ったけど、そろそろ30年になる。

今まで読んだ本は、数えたこともないけど、ざっと1000冊は超えるんじゃないだろうか。

ざっくり計算して、30年で1000冊。ということは、1日に約1冊を読んでいる、ことになる。

うん、読んでいるかも。いや、読んでるな。

(どんな計算したらその数字が出たんだ。1000冊どころじゃないだろ。たぶん、5000以上、だ。数字は嫌いだ)

それでも、この絵本だけは、絶対に忘れることができない。


本の中へ、物語の中へ、今とは違う世界へ、すんなりと当たり前のように、連れて行ってくれた。

本を読むことの楽しさ、せつなさ、悲しさ。

言葉の受け取り方、真意の追求、事象への自分なりの答え。


ああ、そうか。

本を読むって、子どもの頃の、あの毎日が戻ってきたような感覚と、同じ匂いがするんだ。

泥んこで、お団子作って食べていたっけ。

雨の日は、新聞紙でカタツムリの家を作って、縁側で騒いでたっけ。

神社の掃除をして、神様に祈って。

田んぼで犬の死骸を見つけて、死ぬってこういうこと、って友達と話したり。

夕陽のオレンジ色に包まれて、川に反射する光とおにごっこしたり。


現実なんだけど、すぐに心が別の世界へ行けて、それを共有して遊ぶことができる。

あの一体感を、思いだす。本を読むと、いとも簡単に、あの頃に戻れる。


そうか、あの感覚が忘れられなくて、忘れたくなくて、わたしは本を読むのかもしれない。


かたあしだちょうのエルフと出会わなければ、わたしは今のわたしではなかっただろう。

それはそれで、その人生でよかったのかもしれないけれど、今は、今が良い。


エルフに出会えたことが、わたしの根源をつくったのかもしれない。

出会えたこと、というより、エルフがつくってくれたのかもしれない。


わたしの棺桶には、ぜひこの絵本を一緒に入れてほしい。

と、パートナーに伝えておこう。

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Posted by hys at 16:54│Comments(2)日常
この記事へのコメント
はじめまして。悩みに悩んで毎日苦しくて、少し前にこのブログにたどり着き、すっごい「こ!れ!だ!」って思い、一気にさかのぼってブログ読まさせていただいてます。数日でさかのぼってここまでたどり着きました。自分も3~5才のころ「片足ダチョウのエルフ」を取り憑かれたように毎日毎日よんでいたのをはっきり覚えてます☆一番最初に記憶に残った本です。何度も何度もあの絵と文字を凝視してました(絵本だと、文字も絵の一部のように感じられて独特の迫力や世界感に入って行きやすいのが好き☆)エルフの行動の意味を考えてモヤモヤして、モヤモヤするからまた読むって感じでした。幼児にモヤモヤを起こさせますよねあの本は。こんなに悲しく理不尽なの事が有り得るのか、これは本当のお話なのか…とか、すごい複雑な感情を初めて知った本です。悲しいのか、寂しいのか、可哀想なのか、怖いのか、エルフは勇敢すぎる、えらい、エルフはいつまで生きていて、いつ木になったのか、いつ死んだのか、木になっても意識はあるのか、それは苦しくないのか、この最後は、「忘れられてしまうエルフが少しでも救われた」という意味であってほしいが、果たして本当はどういう意味なのか…気になって確かめたくて何度も読みました。今思うと「死」という物を理解したかった気がします。あの黒豹(ですよね?あれ、ハイエナでしたっけ?汗)が狙ってる絵の真っ黒なページをずっと見てたらしい。今思えば、あの真っ黒な黒豹は当時の自分にとって「死」という概念を具現化したモノでした。死と生の境目を、エルフはいつまで生きていて、どの時点で死んだのか?を読みとろうとしてました。でもあの話は死と生の境目は曖昧に書かれていて「この時点で死にました」となっていない。当時は、それが釈然としなくてうやむやで嫌でした!でも今思うと、なかなか「リアル」に感じられます。最近「死」とは、瞬間ではなく「ある程度の時間をかけて死んで行く」と思うようになったからです。自分にとって、死は「点」ではなく「グラデーション」です。長々とすみません。hysさんの感性は共感&尊敬できる所が多くて、大好きです。 ありがとうございます。
Posted by エルフっち at 2012年04月05日 04:22
>エルフっちさま

読み応えのあるコメントありがとございます。
まさかこの記事にコメントがくるとは思っていなかったので、とても嬉しいです。しかもこんな文字だらけのブログに…お越し下さってありがとうございます。

エルフってすごいなあ。
わたしは、カッコ悪いエルフが一番印象深くてなぜか大好きです。
でも、あの真っ黒な黒豹の目がこちらを(正確にはエルフを)捉えて離さないのも、また印象に残っています。

また遊びに来てくださいね。
何を読んで「こ!れ!だ!」とお思いになったのかも、非常に気になっているところです。
Posted by hyshys at 2012年04月05日 16:30
 
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かたあしだちょうのエルフ
    コメント(2)