2012年01月11日

趣味


趣味があるのとないのとでは、人生の濃度が違ってくると思うのはわたしだけでしょうか?

もちろん趣味なんてなくても、生きてるだけで楽しい!って方もいるでしょうし

人それぞれだと思うのですが。


何か一つに没頭するということが、昔から苦手なわたしは、なかなか趣味らしい趣味が

見つからずにいます。


やってて楽しい事はたくさんある。

写真撮ったり、何かものを作ったり、本を読んだり、ゲームしたり、スノーボードや

音楽(観賞、ライブ)、車に乗るのも好きだし・・・。


でも、これといっていちばんが決まっていない。

ああ、こういう多趣味でなんにでも手を出して楽しい楽しいと言っている人間は

何かを成し遂げられる人物ではないんだろうな、という漠然とした絶望がある。


何か一つに夢中になって、それ以外は何もしたくない!といったような人は

いつか大きなことをやり遂げてしまうものだ。


秀でた才能も重要だけれど、どれだけそのことが好きか、時間を忘れて集中できるか

そんなことも、才能と同じくらい重要だ。


三度のメシより好きな事・・・。


残念ながら、わたしは三度のメシがいちばん好きだ。

そして眠っている時間が好きだ。眠りに落ちる瞬間が好きだ。


こんな怠け者は、何かを成し遂げるなんてこと、できやしないのだ。


悲観しているわけでもなんでもない、わたしは自分が何者かになろうなんて

そんな大それたことを考えているわけではないのだから。


ただ、ひとつだけ。


環境を変えれば、何かが変わると思っている人がたくさんいる。

そりゃあ変わるさ。住んでるところ、仕事、取り巻く環境が変われば、自分だって変わるさ。

でもね、とても内面的な心というものは、簡単には変わりゃしないんだって。

どこにいても、何をしていても、自分の悪いところ・いいところ・自分というものをできるだけ

客観視する技術。そんな類のものを持ち合わせていなけりゃ、何をどうしたって同じ事だ。


環境が悪いと周りの所為にする前に、自分が精一杯やみくもに、やれるだけのことをやったか?

もともと、何かに秀でた人っていうのは、それを努力だと思っていない節がある。

やっていることは十分すぎるほど努力しているのだが、本人にとっては『趣味』の延長なのだ。


そんな簡単なものではないが、好きで好きでやらずにはおれないほど好きでやっている。

好きとは違う感覚で、本能でそうすることを求めている才人もいる。


どっちにしろ、一般人には持ち合わせていない感覚をもっている。


自分が何者かになれないと嘆いているのだとしたら、環境や他人のせいにして逃げるのではなく

その秀でた人たちと同等、もしくはそれ以上の努力をしてみればいいだけの事なのだ。

やってみて、やっぱりダメなら諦めればいい。

もちろん、嘆く事を諦めることだ。

嘆いたところで何も始まりましない。嘆いた先に何を見つけるかが重要だから。


趣味が高じて成功する人もいれば、趣味だけにとどまらず人生をその事に捧げる人もいる。


器用貧乏。



わたしのような人間の事だ。

趣味に一貫性がなく、何をしていても楽しい。

いちばんなんてもったいなくて決められない。



ぜひ、好きで好きで仕方ない趣味や、魂に引きずられてやっていることがある方がいたら

一生をかけて極めてみてほしいと思う。


さて、わたしは死ぬまでに何を見つけられるかな。

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Posted by hys at 18:12│Comments(0)日常
 
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