カッコいいって褒め言葉

hys

2012年06月13日 22:02

髪を切った。正確には、美容師さんに切ってもらった。


(さっきここに髪型の詳細を書いたのだが、きっとこんな髪型の三十路鹿児島人は


そうそういないだろうと思い、特定されると非常に困ることばかり書いているため


サクッと消した。どこで誰が見ているか分からない。わたしは何も公に自分の性的指向を


見せびらかすためにこれを書いているわけじゃないし、生きる上で秘密にしていたいことだって、ある。)



ざっくり言うと、あまりそこらへんにはいない髪型にした。


強いて言うなら、男子高校生や美容師さん、髪型を自由にしていい『男の子』がしているような髪型だ。

そして、友人に言われた言葉が、とても嬉しかったので記念に記す。



『hysだから似合うんだよ、カッコいい』



これはなんとも嬉しい言葉をいただいた。


わたしは『可愛い』と言われることに、抵抗がある。


これに関しては、女扱い云々よりも先に『嘘を吐くな』という気持ちが強い。


あのね、可愛い可愛いって言ってりゃいいってもんでもねえぞ。


可愛いって言えば誰でも喜ぶと思ったら大間違いなんだぞ。


素直に『可愛い』と言われるのと、なんというか流れで、口癖のように『可愛い』って言われてるのは


単純に『分かる』んだよ。


わたしの場合、可愛いよりカッコいいって言われる方が何百倍も嬉しいから、むしろ男性から


『可愛いね』なんて言われようものなら、悪寒と共に笑いが込み上げてくるくらいなのだ。


逆に男性からも女性からも『カッコいいね』なんて言われると、照れてしまうくらいに嬉しい。




話は少し遡るが、とある女の子に会った。


なんでも『ハッピー教』の信者らしい。人伝いに聞いたことなので、確証はないが。


それも、だいぶ盲目にそうらしい。否定も肯定もしないが。


その子はわたしに『おひさしぶりです。ていうかhysさんキレイになった?すごい可愛い!』と言ったのだ。


その時のわたしは、どんな言葉を返そうかとても悩んだ。一瞬にして脳みそフル回転。


で、出てきた言葉は『なに言ってんの。そんなヘンなメガネしてるからじゃね?』だった。


可愛い、キレイ、その他とにかく他人を褒めろ。褒めちぎれ。心の余裕が生まれるぞ、的な。


そんなもんで手に入れた余裕って、本当にいざって時に役に立つのかしら。


そりゃあ余裕はないよりあった方がいいのかもしれない。


でも、なんでもかんでも『ないよりあったほうがいい』ってことでも、ないと思う。


『ある』ことばかり経験していて、いざ『ない』状況になったらどうすんだ。


わたしは『ない』ほうが好きだ。なぜなら、ないもんはない。だったらこれから手に入れればいいだけだから。


あるもんを手放すのも、実はけっこう勇気がいることだ。


それがあって当たり前であったのに、なくなるととんでもない喪失感に襲われる。


でも、あって当たり前のものがなくなった代わりに、『喪失感』というものを手に入れることができる。


喪失感を敢えて手に入れようなどと、大半の人間が思わないのではないか。


どうしたらこれ以上失わずに済むんだろう、そうして人は『進歩』してゆく。


それを『成長』と呼ぶのなら、わたしはそんな成長は望まない。



わたしは、楽しいことばかりが好きではない。


幸せだけが、人生ではない。それが最終目標なんて、ちっちゃい目標だな、と思う。


幸せも楽しみも、苦しみも辛さも、苦さも甘さも、すべてすべてひっくるめて人生だ。


人生というか、命だと思う。 命って、生きてるって、考えるって、発言するって、共鳴するって、


ぜんぶ、幸せだけじゃない。ポジティブだけじゃない。光だけじゃない。



手当たり次第出会った人に、褒め言葉を与えるのはどうかと思う。


実際、わたしは可愛いと言われ、キレイになったと言われ、ちっとも嬉しい気分にならなかった。


返答に困り、とりあえず訳の分からないことを口走りお茶を濁したが、ああいうハッピー教信者という


わたしとは同じであるように見えて、実は全然違う、ある種の『とっつきにくさ』を秘めた人というのを


いったい何がどうして、わたしは受け入れ難いのか。


それらを受け入れられるようになるまで、まだまだ時間がかかりそうだ。





『hysだから似合うんだよ』と、単純に伝わってきた褒め言葉で、わたしはまた次の美容室へ行く日が


とても楽しみになった。


カッコいいって、最高にくすぐったくて最高にニヤニヤして、最高に嬉しい褒め言葉だ。(わたしにとって)





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